新卒からコンサル畑を歩み、そして独立へ 夢をかなえるキャリア術【2】~本山さん流「転職の思考法」~
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- 新卒で総合系コンサルティングファームに就職。その後戦略系コンサルティングファーム、日系シンクタンク等を経てフリーランス
Q. その後、戦略系コンサルティングファームに移られたのはなぜですか?
せっかくコンサルタントとしてのキャリアを歩み始めたのだから、もっとコンサルらしいことをやってみたいと思っていました。システム導入よりも上流の、クライアントの課題に直接触れることをしてみたいと思ったんです。
Q. 戦略ファームの次は、日系シンクタンクに移られていますね。
コンサルに就職したものの、いずれはパブリック・セクターに戻ろうと思っていました。そこで戦略ファームの後は、日系のシンクタンクに移り、パブリック・セクターの仕事にたどり着きました。
もっとも、ネガティブな理由として、当時は投資ファンドの仕事が多く、マネーゲーム的なことにちょっと嫌気がさしたというのもありました。
Q. 公共の仕事ということで、日系シンクタンク以外の選択肢はありましたか?
当時、公共部門の経営というテーマを明確に掲げているところがあまりありませんでした。敢えて引っ掛けるとすれば総合電機メーカー等が公共系の仕事をやっていますよという程度でした。
その頃自分なりに「パブリック」の意味を広げていて、お客さんは行政ではなくNPOもあると思いました。NPOに対して、事業のコンサルティングをするという選択肢もあるという話を聞きましたが、その時点ではまだ目に見える機会がありませんでした。収入レベルという意味で、会社としてやっていくのも、個人で独立して切り開くのも難しいと感じました。ただ、今やっている仕事はそれに近いです。
Q. その時点では、もう国際機関への就職は考えなかったですか。
実は今でも海外で働きたいという気持ちは「なきにしもあらず」です。ただ国際機関は年齢制限がありますよね。ちょうどそのころ結婚したというのもありました。
海外に行くという選択肢は「なきにしもあらず」くらいではありましたが、積極的に海外という選択肢を取りに行かなかったのは、結婚したからというのも1つの理由です。
Q. 「プライベートが足かせ」という感じではなかったわけですね。
今まで「プライベートが足かせ」と感じたことはありません。日系シンクタンクに移ってからも、特に子どもが生まれるまでは働く時間を気にすることも一切なかったです。
後は、相手の人にもよると思います。私のパートナーは「もっと働け」というタイプだったので(笑)。
でも実は日系シンクタンクに移った後すぐに妊娠しました(笑)。良かったのは、その会社は完全フレックスだったことです。みなし残業がつく支払体系で、年収を減らすことで勤務時間をうんと減らすこともできました。私のいたチームは上司をはじめ皆理解がありました。
上司に対して「転職してすぐにすみません」と謝ると、「気にしなくていいです。このくらいの年齢の女性を雇う以上、常にそういうことはあると思っていますから」と言ってくれました。
育休も取りました。その間も一時保育などで慣らしていました。復帰してからはフレックスと年収選択の仕組みをフルに生かして、収入を半分にして、その分3時に会社を出て4時には帰宅するというような生活をしていました。
新卒からコンサル畑を歩み、そして独立へ 夢をかなえるキャリア術【3】へ続く。
※写真はイメージです。